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『グローバルに活躍する』第11回 杉田昌平君(名古屋大学日本法教育研究センター(ハノイ)/アンダーソン・毛利・友常法律事務所)

2016.04.01


 社会がますますグローバル化する中、法曹の活躍の舞台も世界に広がっています。在学生の皆さんの中にも、そういった分野に興味を持っている人が少なくないものと思います。

 そこで、塾法科大学院を修了し、グローバルな領域で活躍している先輩たちにお願いし、どのようにして現職に至ったか、仕事のやりがいや難しさ、語学についてなど、皆さんの関心が高いと思われる質問事項をお送りして答えてもらいました。今後、このwebサイトで、先輩たちの活躍の様子を定期的にご紹介していきたいと思いますので、将来の進路の参考にして下さい。



 第11回は、名古屋大学日本法教育研究センター(ハノイ)/アンダーソン・毛利・友常法律事務所で活躍されている、杉田昌平さん(2010年3月修了)にお願いしました。

■ 塾法科大学院修了後、現職に至るまでを簡単に教えて下さい。また、今のお仕事を選ばれた動機やきっかけもお聞かせ下さい。


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 2010年3月に塾法科大学院を修了後、同年11月から2011月12月まで司法研修所で司法修習を行い、2011年12月から2014年12月まで3年間、東京都千代田区にあるセンチュリー法律事務所で執務しました。
  その後、2015年1月からアンダーソン・毛利・友常法律事務所に所属し、同事務所に所属したまま、2015年6月から名古屋大学大学院法学研究科日本法教育研究センターの特任講師となり、ベトナム社会主義共和国ハノイ市に所在するハノイ法科大学に派遣されています。
  今の仕事を選んだ動機ときっかけを端的に表現することは難しいですが、公益とビジネスとを両立することができないか自分なりに考えて選択を続けていたらたどり着いたというのが正しい表現だと思います。
  法科大学院に進学する以前、塾法学部法律学科に在学していたとき、私はベンチャー企業に対する強い憧れを持っていて、ベンチャー企業でインターンシップをし、自分でベンチャー企業のまねごとのようなことをしていました。ベンチャー企業に憧れたのは、公務員である父が「お金を稼ぐために仕事をするべきではない。」と繰り返し話していたことに対して反発心を抱き、若くして経済的に成功した人が多い業種で働きたいと思ったからでした。大学に入って3年程度ビジネスをすることに夢中になっていましたが、お金を第一に活動する一部の企業や人を間近で見て、どうやら自分にはお金のみを第一に生きるのは性に合わなそうだと感じ、公益とビジネスを両立できないか考える中で、弁護士を志望するようになり、塾法科大学院へ進学しました。
  最初に所属したセンチュリー法律事務所では、事業再生という分野を中心に執務しました。事業再生は、窮境に陥った事業を再生させ雇用や社会的資源を守るという意味で公益性があり、また、同時にビジネスや資金繰りという経済活動の実際に迫ることができ、まさに志望したとおりの仕事ができました。また、同時に塾法科大学院での講義をきっかけとして新興国での法整備に感心を持ち、日弁連国際交流委員会に所属し、アジア地域(ベトナム・モンゴル)に対する法整備支援を末端で手伝っていました。
  そのような中、縁あって現在所属するアンダーソン・毛利・友常法律事務所に移籍することになりました。移籍することに迷いはありましたが、アジア地域を含めた国際的な業務をする機会が多いこと、再生債務者代理人以外の立場を経験できること、そして、前事務所の所長が理解の上送り出してくれたことがあり、移籍を決意しました。
  アンダーソン・毛利・友常法律事務所で執務を始めてから、国際的な業務をする機会が多くなり、また、アジアの弁護士と交流することが増え、実際に現地に行って仕事をしてみたいと強く思うようになった頃、現在のポストを見つけました。事務所にベトナムに赴任したい旨相談したところ、私の我が儘を理解して頂き、赴任することを了承してもらいました。



■ 現在のお仕事の概要を教えて下さい。 


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 現在は、名古屋大学の特任講師という役職で、ハノイ法科大学に設置された日本法教育研究センターで執務しています。同センターは、名古屋大学とハノイ法科大学が協定により設置した教育研究機関で、同センターには、ハノイ法科大学の1年次から4年次に在籍する学部生が約75名所属し、日本語と日本法を勉強しています。
 私は、特任講師という役職ですが、日本法教育研究センターの管理者というのが実態に即していると思います。業務量のうち約40%は、同センターに所属する学生に日本語で日本法(主に法制史、民法、憲法)を教え、50%はセンターのオペレーション(協定の更新や各種内規の整備等の総務、人事・労務、財務等)を行い、10%はベトナム法の研究を行っています。


■ 弁護士登録はされていますか? 登録の有無はお仕事にどのように関係していますか?
 

  弁護士の登録は続けています。法律事務をすることはないので、厳密に言えば登録をする必要性はないと思いますが、弁護士であることの信頼性から構築できる関係もあり、登録を続けています。


■ どんなところに仕事の面白さを感じますか?
 

 学生が熱意と意欲を持って勉強し、それぞれ持っている才能を磨いていく過程を見ることができるのは、嬉しいことだと感じています。
 また、文化が異なる国で、小さいながら組織を運営するという仕事をすることは、日々発見があり冒険心を刺激され、面白いです。


■ 逆に、お仕事で苦労されているのはどんな点ですか?

 学生が進級要件を満たさず退学させなければならない場合など、学生に厳しく指導しなくてはいけないときは、心が痛みます。
  また、文化が異なる国での組織運営であるため、組織の内外で予想できない問題が常に発生し、肝を冷やすこともありますが、それはそれで面白いと感じているので、あまり苦労していないのかもしれません。


■ 海外では何年ぐらいお仕事をされましたか? また、海外ならではの苦労や工夫などお聞かせください。


 海外で仕事をしたのは、現在の仕事が初めてで、2016年4月現在で11カ月目となります。
 仕事以外で海外ならではの苦労というと、たくさんあります。ベトナム・ハノイ市では英語を使えない場所もたくさんあり、赴任当初は、ベトナム語も全く使えなかったので、トイレットペーパーを一つ買うのにも苦労していました。他に、赴任直後に犬(東南アジアの犬は狂犬病に感染している可能性があります。)に襲われたことや、朝起きたら部屋の中をスズメらしき小鳥が飛び回っていたこともあります。
 もっとも、犬に襲われた経験以外は、面白かった経験として記憶しているので、大した苦労はしていないのかもしれません。ただ、家族と離れ、単身赴任で生活をしているのは、少し辛いところかもしれません。



■ お仕事で最もよく使われる外国語は何ですか? どこで、どのようにして身につけられましたか?



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 最も良く使う外国語は英語です。仕事で使う言語の割合は日本語7:英語3くらいでしょうか。オフィスでの使用言語は日本語で、センターの運営業務としてカウンターパートであるハノイ法科大学の方とコミュニケーションをする際や、同じくハノイ法科大学に設置されたドイツ法センターの先生と共同で研究を行ったりする際は、英語を使っています。
 ただ、私の英語は、まだ実用レベルとは程遠いので、今でも練習の毎日で、身につけたといえる状態ではなく、身につけている過程だと思っています。
 また、ベトナム語は、学生や職員と冗談を言い合うときに使う程度なので、もう少しベトナム語を使用する環境を作ろうと、ベトナム人だけの集まりに顔を出すように心がけています。

■ 塾法科大学院で学んだことを、仕事の中でどのように活かしていますか?


 塾法科大学院で学んだことで、仕事の中で役に立っているのは、法的な思考方法だと思います。塾法科大学院で先生方から、事実認定の方法と法的な論理展開を厳しくも優しく教えて頂いたお陰で、知的作業を行う基礎体力を持つことができたと思います。
  そのため、前提知識がないベトナム法についても、一定の枠組みに基づいて理解することができますし、また、組織を運営する上でも、偏した判断をせずにすんでいます。
  海外の法学教育機関にいるからこそ思うのですが、塾法科大学院の教育というのは洗練されており、そのおかげで、私は他の国にいっても通用する法的な思考方法を得ることができたと感じています。
  また、私が法整備支援という言葉を知ったのは、松尾弘教授が塾法科大学院におられたからであり、海外の法整備に感心を持ったのは、オステン・フィリップ教授の国際刑事法の講義がきっかけでした。将来の仕事となる分野に感心の目を向けてくれたという意味でも、塾法科大学院で学んだことは、仕事の中で活かされていると思います。
 


■ 塾法科大学院では、英語のみで学位取得が可能な日本版LL.M.(法務修士)の開設を計画中です。アジアを視野に入れたビジネス法務を英語で学ぶことを基本とし、日本法に関心のある留学生や、グローバルな領域で活躍することを目指す日本人法曹を主たる対象としています。1年間のコースで、そのうち半年をアメリカやアジアの提携ロースクールに留学することも想定しています。日本版LL.M.の授業内容や方向性などについて、期待するところ、要望などお聞かせくださいませんか。


 私は、塾法科大学院で一緒に学んだ友人と、今でも頻繁に連絡をとり、悩みを共有し、ときには一緒に仕事をしています。また、私の現在の仕事の業務分野を知ったのは、やはり塾法科大学院の授業ですし、今でもお酒をごちそうしてくださる先生方に出会ったのも塾法科大学院です。
  このように私は、生涯の友人、師、そして、情熱を持てる業務分野に、塾法科大学院で出会うことができました。日本版LL.M.(法務修士)が設置される際には、単に知識や技術を伝える場ではなく、人と学問が出会える、新しい出会いの場となってくれることを期待しています。
  特に、私は、現在ベトナム人の学生を教えていますが、アジア地域の先進国である日本で教育を受けたいという学生は多いです。是非、ベトナムのような新興国の学生にも門戸を開き、多様性のある課程にして頂き、多くの知的な交流がなされる場となってほしいと思います。
 

■ 5年後または10年後のご自身の将来像をお聞かせ下さい。


 具体的にどのような仕事をしているか、予想するのは難しいですが、公益とビジネスのどちらにも偏ることなく、両立の道を目指したいと思っています。
  それは、単に公益とビジネスの狭間にある領域の専門性を追求したいという意味ではありません。今後、弁護士には、より高度の専門性が求められると思います。ですが、専門性(語学力も含みます。)を高めることで他人と差別化できると思うことは、誤りなのではないかと思っています。法曹や隣接するプロフェッショナルと呼ばれる人の中には、同業者から尊敬される高度の専門性を持ちながら、専門性を高めることに加えて日々の所作を含めた人格形成についても、想像できないほどの努力をし続けている人がいます(端的に言えば、良い人なのです。)。そういった人を見ていると、専門性があることは当然であって、専門性を持っているからといって差別化にはならず、クライアントや関係者から信頼してもらえ、いざというときに頼ってもらえる人物になるよう努力しなければならないのだと感じています。
  5年後または10年後、どういった仕事をしているかわかりませんが、自分の関心に従って、5年間または10年間という時間を努力し続けられる人になりたいと思っています。
 

■ 最後に、グローバルな領域で活躍することを目指す後輩たちへのメッセージをお願いします。


 新興国で過ごすのは、毎日が冒険のようで、面白いです。皆さんの中から一人でもアジア地域の法律に感心を持ってくれる人が出て来てくれることを期待しています。私でよければ、いつでも質問にお答えしますのでご連絡下さい。


ありがとうございました。さらなるご活躍、期待しています。

(記載内容は掲載日のものです。また個人としての記載であり、所属する組織・団体を代表するものではありません。)

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